ご報告
長らく、ご無沙汰しておりました。
実は、3月13日に、私の父が亡くなりました。
肺炎で入院した数日後のことでした。
お見舞いのためにと帰省したのが、結局、父の死を看取ることになりました。
父の死に際しては、不思議なことが色々ありました。
それは、「なんとなく感じた」というものではなく、
はっきりと目と耳で分かり、そして母と姉も一緒に体験しました。
霊的な存在、神は確かにいるのだと実感できる出来事でした。
父の死は悲しかったですが、この数年間で、スピリチュアルな
ことについてはかなり学んできていたので、父が亡くなっても
魂は存在し、私たちを見守っている、ということは知っています。
なので、「失った」という虚無感は、私の中にはありません。
ふとした時に、一緒に行った旅行や、ふだんの父の姿などを
思い出し、泣いてしまうことはありますが・・・。
亡くなってから、早、一ヶ月が経とうとしています。
葬儀のあといったん長崎へ戻りましたが、父を失った
ショックにより母の憔悴が激しく、精神的・肉体的に
放って置けない状況だったので、役所への手続き、遺品の
整理などを手伝うため、また実家へ戻っていました。
実家には1週間ほど滞在し、姉と一緒に毎日、奔走していました。
家族が亡くなると、大変なのですね・・。
今は、もう長崎に戻って来ています。
そろそろ、四十九日です。
無宗教で葬儀をしたのですが、四十九日の法要は
やるからね、と母から連絡がありました。
その後の納骨のことも考えなくてはなりません。
つい先日、お葬式があったように感じるのに
時が経つのは早いです。
今頃、父はあちらで何を思っているのでしょうか。
棺の中に、四十九日の間に食べるようにと、お餅と
あんぱんを入れましたが、それは食べたのでしょうか。
嫁ぎ先の長崎で、父の供養のためにお茶をあげてお経を
読みながら、そんなことを考えたりしています。
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