2011年04月14日

信心

私はずっと、自分には信心があると思っていました。

神社に行けばお賽銭を投じ、「○○がうまくいきますように」
とお願いしてました。

お寺に行けば手を合わせ、「××のことを、お願いします」と
お願いしていました。

お墓参りに行けば、ご先祖様にもまた、お願いを。



でも、旦那が病気をしたことで色々と思考を重ね、
本も読み、自分なりに精神修行をしてきました。

それで気づいたのです。

これは信心ではない、と。




それから、心がけるようになりました。
「本当の信心を持とう」ということを。

信心を持つ、というのは、神仏を大切に思うこと。


神仏にお願いをすることは、「神仏を大切に思ってる」
ことになるのか?

暮らしの中で、何か「神仏を大切にしている」と言える
事をしているか?

神社でお賽銭を入れることが、信心なのか?
お賽銭を入れているんだから、お願いをしてもよい?

自分のためだけに、お賽銭をあげて祈ることが、信心なのか?


人を助け、奉仕をする。それが神や仏の教え。


世界には、困った境遇に苦しんでいる人達が大勢います。

このたびの地震でも、被災者の方は大変な思いをしている。


本当に信心を持つ、ということは、「神仏の教えを守る」
ということです。
そして「神仏に感謝する」ということです。


普段、神仏について考えもしないくせに、
たまに行った時だけお賽銭を入れ、「お金を払うから、
何とかしてね」なんて、そんな軽々しいものではないはずです。



最近、ある言葉を知りました。

「神仏を敬い、神仏を頼まず」。

剣豪、宮本武蔵の言葉だそうです。


これが、自分の抱いていた感情に、ぴたっとはまりました。



昔の私は、お寺や神社に行って「旦那の病気が治りますように」
とお願いしていました。


が、今はそういう一方的な祈り方はしなくなりました。

毎朝、義父母宅のお仏壇に手を合わせていますが、
「旦那の病気を治して」というようなお願いはしていません。

「私は、私達は旦那の病気を治します。がんばりますから、
どうぞ見守っていて下さい。よろしくお願い致します。」

というようなことをご先祖様に言っています。
決意表明?みたいなものを話して、ご先祖様に聞いてもらう、
みたいな感覚です。


しかし私自身、まだまだ精神修行が足りませんし、
この方法が本当に正しいのかどうかも分かりません。

でも、以前は「依存心のみ」だった私の心に変化が現れた
のは事実です。
できる限り、神仏の教えを実行しようと心がけています。


きっと私の精神レベルが、低すぎたんでしょうね。

強すぎた依存心から解放され、ようやく、「信心を持つ」ということが
わかり始めています。

まだまだ修行しなくてはいけませんが。。。

宮本武蔵の本でも読んでみようかと思っています。


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Posted by プーゲンビレア at 11:36│Comments(0)こころの話
 
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